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卒業

※長いです。
いつもとはトーンが全く違います。
でも、自分に必要なことだったので書きました。
ごめんなさい。
興味の無い方は、どうぞスルーして下さい。
よろしくお願いします。



東洋の魔女をリアルタイムでは見ていない。
でも、テレビでは
『サインはV!』や『アタックNo.1』をやっていた。
少女漫画では
『ビバ!バレーボール』の連載をしていて
朝日みたいな星の入った目の大きな女の子が
必至にボールに食らいついていた・・・
ボール
小学校のクラブ活動は迷わずバレークラブに入った。
校庭にツルハシとペグを使って立てるネットは
いつも時間がかかりボールに触れる時間は
10分にも満たなかった・・・

運動神経が悪く、
出来るまでやれ!の当時の指導方法では
いくらやっても逆上がりも跳び箱も
出来なかった。
運動会の徒競争はいつもびり争いで
父をがっかりさせた・・・・
体育の成績
最初から苦も無く出来る人は4や5を貰い
どんなに努力しても出来ない人は
頑張り点を入れても2だった・・・・
今でも理不尽だと思っている。

逆上がりの達成感も跳び箱が跳べた爽快感も
1等でテープを切る誇らしさも知らず
それなのに、
身の程知らずのバカな少女は
中学に入って頑張って日本代表に・・・
などと荒唐無稽な夢を描いて
やっぱり迷わずバレー部に入った。

当時は単行本と呼んでいた
『サインはV』の漫画を買って
むさぼる様に読んだ。
読んでジャンプ力の無い自分が
ジャンプ力を付けるためには
鉛入りのシューズしかないと思った。
金属加工のお店の前を通るたびに
どうしたら鉛入りの靴を作ってもらえるか考えた。
後々、足首に巻くウェイトは
当時でもあったのを知ったけど
この時は知らなかった。
きっと少年漫画の裏表紙には広告があったのだろう。
でも、少女だから少年漫画は買わなかったから。

鉛入りの靴さえ手に入れられれば
150㎝に満たなかった身長でもネットに手が届く。
それどころか空舞うように1mでも2mでも飛べると
思い込んでいた。

レシーブが大好きだった。
倒れて気を失うまで
特訓を受けてみたいと思っていた。
サポーター
1年生は先輩から基礎を教わるのと
腹筋と背筋と腕立て伏せと指立て伏せ
球拾いと声出しが部活の主だった。
靴下は白の三つ折りで1年生は伸ばすのを許されず
ジャージも許されなかったので
半袖体操服にブルマで素足を足首まで出して頑張った。

背はなかなか伸びなかった。
でも、鉛入りの靴さえあれば・・・・・
2年生になった。
2年生からのチームメイトも増えた。
背の高い子が中途で入って来た。

2年生、新人戦の時にレギュラーの発表をする。
と言われた。
レギュラー6人、補欠6人、
レギュラーには入れないと思っていた。
でも、補欠の6人には入れる。
だって頑張ったもの。
ジャンプ力無いし
手が小さく指の力も弱くオーバーも苦手、
肩の力も弱かったので
フローターサーブが入ったことも無かったけど
スライディングも回転レシーブも出来る。
レシーブなら・・・・・・

レギュラーと補欠合わせて12人のメンバー発表。
新人戦デヴューにワクワクした。
試合には出られないだろうと
思ってはいたけれど、
それでもワクワクしていた・・・

でも、

信じて疑わなかった12人の中に

最後まで私の名前は無かった。
呼ばれなかった。

2年生から入って練習の日も浅く
レシーブもままならない
背の高いチームメイトの名前は
すんなり呼ばれたのに・・・・・

平気な顔して居たかった。
全然大丈夫!!って何事も無かったように
笑っていたかった。
でも、嫌なのに勝手に涙が零れ落ちた。
後から後から涙が出てきて止まらなかった。

新人戦のその日、三ツ沢競技場
秋の野外バレーコートは寒かったので
「寒くて涙が止まらない。寒い、寒い」
と言い張った。
「寒かったらこれ掛けてな!!」と
みんなが上着やウィンドブレーカーを
何枚も何枚もかけてくれた。
みんな解かっていたけど
黙ってくれていたのだと思う。
今でも、それには本当に感謝している。

服の山に埋もれて、
いつまでもいつまでも泣いていた。
そうして私の新人戦は終わった。
ボール

その後もボールを追い続けた。
レシーブだけは譲れない。
絶対ボールを落とすもんか。
泥だらけになり膝の生傷は絶えなかったが
毎日バレーに明け暮れた。
夏休みも冬休みもずーーっとずーーっと。

屈辱の新人戦から
自分のベンチでのレゾンデートルを確立するため
黙ってすすんでスコアブックを付ける係になった。
試合のスコアブックは、いつも私が付けた。
だって、そうでもしなければ耐えられなかったから。

結局3年間、公式戦に出場することは適わず
3年の引退がかかった最後の試合、
あと3点で負けが決まるところで
顧問の先生が「出るか?」と訊いてきた。
場所は、あの三ツ沢競技場
野外バレーコート。
のどから手が出るほど出たかった。
でも、そんな自分を見透かされるのが嫌で
「いいよ。先生。」と言った。
どっちにしろ、そんな話をしている間に
チームメイトはアッサリ3点取られ
中学のバレーボール漬けの日々は終わった。

私も1度も試合に出られなかったが
チームメイトも
公式戦で1度も勝を得ることは出来なかった。
そう、その程度のチームで
私は1度も試合に出られなかったのだ。

なのに・・・・・・
高校に入ってやっぱりバレー部に入ってしまった。
しかも、なぜかやっぱり身の程知らずに
体育科があって体育に力を入れている高校で。

公立の新設校の一期生。
先生は校長先生も併せて当初10人で始まった学校だった。
体育を柱にしてるので
体育系の部活動は、もちろん力が入っていたけど
生徒も183人だけ。
バレー部の人数もギリギリ。
なんと顧問の先生は当初、
男女兼任で
バレー経験のある校長先生だった。
先輩も居ないし苦しいことは何もなかった。

あんなに恋焦がれていた公式戦に出ることも出来た。
国士舘大学の男子学生がコーチをしに来てくれて
教えてくれた。
弱小バレー部の部活で体罰や恐いことは
一切なかった。

でも、ひょんなことから演劇部に入ることになり
一時は掛け持ちでバレー部と演劇部を続けたけど
なぜか演劇部の部長を任せられてしまい
バレーは疎かになった。

練習をずっとサボっていたのに
体育系の部活全部で茨城の潮来温泉郷を借り切って
夏合宿するというので
ノコノコついて行った。
久し振りの練習で体がぼろぼろ。
筋肉痛で布団から起き上がるのに5分かかり
階段を這って上り下りするような状態。
合宿直前の7月に虫垂炎で入院手術していたので
それを口実に練習を休んだ。

そして、バレー部を2年の夏に辞めた。
バレーボールと共にあった
私の17年間は其処で途切れた。

バレーボールの事なんて考えもしていなかった
二十歳の時、
旦那と出会って結婚した。
彼は当時東京の大学に通っていたけど
静岡県H市の人だった。

横浜市民からH市の人になった。
旦那以外は誰も知る人のいない、
言葉も生活習慣も違う土地で
旦那の親との同居生活が始まった。
旦那の親とも結婚式の時会ったのが2回目。
結婚後初めて行った土地で
私はひとりぼっちだった。

新入社員の旦那は忙しく
会社も活況だったので
唯一頼りになる彼はあまり家に居なかった。
昼間は私以外全員働いていたので自由に出来たが
すぐ近所に職場があった
無口な割に口うるさい義父は頻繁に
昼間いきなり帰って来たので
心休まる時は無かった。
義母は嫁としての心構えばかりを
年若い私に強いた。
「あんたは、もううちの子になったんだで!」
毎日横浜に帰ることばかり考えていた。

寂しかった。

そんな時だった。
回覧板に『バレー部員募集』の言葉を見つけたのは。
そんなのがあるの??
忘れていたバレーボールへの想いが甦った。
でも、誰も知らないところに飛び込むのは怖かったし
「そういう活動すると田舎では目立って
色々やらされることになるよ??」
と義母が言う。
散々迷った挙句、いつの間にか私の指は
電話のダイヤルを回していた。
「すみません、バレー部の代表の方ですか?
回覧板見たんですけど・・・」
24歳の時だったと思う。

背の高さは154㎝で止まっていた。
運動神経も相変わらずだけど
でも、気の強い40代、50代ばかりの
チームでアタッカーは決まっているし
人数ぎりぎりだから
いつでも試合に出られた。
大好きなレシーブを頑張って
お嬢さんをやって居れば良かったから楽だった。

もっともっと練習したかった。
もっともっと巧くなりたかった。
いつまで出来るかな???
年齢が上がるとポツリポツリと
先輩たちが辞めて行く・・・・・

一方で70代になっても続けてる人がいる。
大好きなバレーボールを
いつまでもやっていたかったから
辞める時が来るのを考えるのは恐怖だった。
サポーター
そうして、どんどん上の人が辞めて行き
私も妊娠出産で休んだり復帰したり・・・
気付くと、自分が入った時にいた先輩方は
もう誰も居なくなっていた。

チームメイトは
少し上の同年輩と10歳くらい下の人たち。
そして、黄金期を迎えた。
常敗だった我がチームが初めて3位になったのを皮切りに
年2回の地域リーグで常に優勝の位置になった。
その位置を何年も維持していくことに締めつけられて
チームは変わった。

同年輩と年下ばかりなので
お嬢さんをやっているわけにもいかなくなった。
あるトラブルをきっかけに
よそからやって来た私と
もともと地元民ばかりの同年輩チームメイトとは
溝が出来た。
ある人はあからさまに私を無視した。

心を開いて腹を割って話そうよ!!
と言ったのは貴女だった筈なのに・・・・

練習が始まってしまえば楽しい。
バレーボールはやっぱり楽しい!!大好きだ。
でも、はじまる前に誰とも話をしない時も増えた。
話をしても誰も答えてくれないのなら
自分から話しをする事も減る。
郷に入って郷に従うのにも限界がある。
しかも、郷に入って従っているものには
常にストレスが付きまとう。
いつまで我慢すればいいのか???

何かおかしい。

でも、やっぱりバレーボールは楽しいのだ。
やっている間だけは
私を無視してる彼女も
チームメイトとして扱ってくれる。
呼んでくれ、「ナイス!!○○!!」と言ってくれる。

でも、練習が終わった後に
躁状態になる時と鬱々とした気持ちになる時があって
鬱々としたときには
心底、なんでこんなつらい思いしてまで
バレー続けてるんだろう??って思った。
たかが趣味なのに、こんな苦しい思いする必要
あるの??

この数年、ずーーーーっと
心に鉛を抱えてきた。
結局鉛入りの靴も手に入れられずジャンプ力も
肩の力も身に着かなかったけど
鉛入りの心だけは手に入れてしまった。

もう辞めたい、でも辞めたくない。
だってバレーボールは大好きなんだもの。
自問自答を繰り返していた私に
キャプテンを決める会議の前日
キャプテンをやって欲しい。と
一番仲が良いチームメイトからメールが来た。
正直、全く自信が無かったし、
新年会で話をする人も居なく、
ただただ時間が早く過ぎ去ること、
ただただ早く帰りたい。とばかり考えていた私には
とてもとても無理な相談だった。

でも、ここで
「それならバレー自体を辞める。」
というのは卑怯だと思った・・・
そして、副キャプテンならと思っていたので
そう告げたら彼女が言った。
「じゃあ、副キャプテンで立候補して!!
その後は私が何とかするから!!」
副キャプテンで立候補だなんて許されるのかな??

会議は紛糾、
いつも私を無視している彼女は
般若のような顔をして
「副で立候補なんておかしい!!!」
と異様な勢いで言葉の弾丸を浴びせかけてきた。
何とかする。と言ってくれていた友人は黙っていた。

「みんなでやるんだから!!」
「みんなで協力するから!!」
「キャプテンだからって特別じゃなくて
みんなでやれば良いんだから!!」

泣く泣くキャプテンを引き受けたが
この1年はひどいありさまだった。
協力してくれたのは
「みんなで協力・・・・」なんてこと
一言も言わなかった人たちと副を引き受けてくれた
近所に住む友人だけ。

人は集まらず、トラブル続き、
天候は荒れ練習の中止が相次ぐ等
今までこんなこと無かった!!というくらい
荒れた1年だった。

お嬢様なのが
常に人生と戦う彼女たちは許せなかったのだろう。
子供のころから、学校や塾の先生から
「○○さんは、ゆっくり考えれば
出来るんですけどね。」
と言われてきた、
おっとりさを鬱陶しく思われたのかもしれない。
自分では一生懸命限界まで頑張ったつもりだったが
全く足らなかったようだ。
無理難題を吹っ掛けられ、
それでは・・と用意して来れば
「必要ない!!」と突っぱねられた。
試合の前後はどこかから飛び降りたくなるくらい辛かった。
協力なんて、とんでも無かった。

副をやっていてくれた彼女もけがで休むことが多くなり
協力してくれる人は忙しく、練習を休みがち。
キャプテンをやってくれ!と懇願してきた
一番の友人だと思っていた彼女も背を向けて私を無視した。
若い一人の子だけは
色々親身に協力してくれたので
それだけが心の支え・・・・・・・
でも、まだ子供が小さい彼女も時々休んだ。
そんな時は本当に一人ぼっち。

でも、キャプテンだから休まない。
一番に体育館に行く。
話す人も仲間も居なくても体育館に行く。

一昨年まで11人いたのに休部が2人で9人ギリギリになった。
集まるのが3人の時もあった。
一昨年までは人数余っているくらいだったのに。
私の所為???
そうでは無いことは分かってはいたけれど
考えずにはいられなかった。

きっと徳が無いんだ。
私の徳が無いから天気も荒れるし
(練習が悪天候で2回も中止になった。
今までこんなこと無かった。)
体育館の鍵は無くなるし
(開けようと鍵を取りに行ったら無くて
大騒ぎになった、こんなこと今まで1度も無かった)
みんなが怪我するし
みんな仕事が忙しくなって練習に来られなくなるし。
休むのに連絡してこない人もいた。
やっぱり私、舐められてるんだな・・・・・
だから、こんなことになったのかな???

つい先日、その一番仲が良かった彼女、
副で立候補すれば良いから!と云った彼女も
辞めると言って来た。そして
「この1年、冷たくしてごめん。
でもキャプテンの辛さを分かって欲しかったから。」
って言った。

彼女とは1年のうちで最大のトラブルもあった。
なんか違うんじゃ?と思ったけど
「うん、わかった。」って答えた。
実際そう思ったのも事実だったから・・・
でも、最初から私は無理だって
あなたに言った筈だったのにね。
あんなに背中を向けてまで冷たくする必要が
きっと私の為に必要だったのよね?

膝は数年前にエアロビで傷めた。
半月板損傷、左ひざの4か所のうち1か所が
潰れていた。
半月板は軟骨だ。骨とは違い損傷した軟骨は
二度と再生しないと言われている。

ずっとだましだまし使っていた。
でも、急性期が済んでからは
痛いけど普段は忘れていられるくらいにはなっていた。
一昨年くらいかな??
歩くと痛むようになった。
去年くらいからは
バレーの練習後3日くらいまともに歩けなくなった。
今では何をしていなくても常に痛みを感じるようになった。

視力は0.06だからコンタクトレンズを入れる。
アレルギーが出ちゃったので
使い捨てのコンタクトレンズ。
腰は20代の時に相次いでぎっくり腰をやり
それからは腰が良かった時は無く
バレーの時は
ずっとスポーツサポーターを巻いていた。
手指は手根管症候群で5年くらい前からずっと痛かった。
手首はもともと尺骨と橈骨という2本ある前腕の骨の
尺骨の方が手首部分で1㎝位短かったので
傷め易く、常にテーピングぐるぐる巻き。
まるでミイラみたいな手だった。

それでもバレーボールが好きだったから
サイボーグみたいにガチガチに体を固めても
準備と着替えに30分以上かかっても
週1回バレーボールの練習に通い
ボールを追った・・・・・・
テーピング
暮れのある日
ある、他のチームメイトが言った。
みんなは出来る人を求めているんだよ。
アンタのプレーは迷惑だ。
そんな様なニュアンスの話だった。

ああ、そうか。
最初から迷惑だったんだ。
そうだよね、逆上がりも跳び箱もダメだった人が
こんなところに居てはいけない。
最初から間違ってたんだ、きっと・・・
好きだからって、下手くそなのに
やって良いことでは無かったんだ。
そうだ、団体競技なんだものね。
ごめんなさい、今まで迷惑だったことに
気付きませんでした。
腰のサポーター

もう、ひざが限界になった。
心も限界だ。
でも、まだ歩けてる・・・・・
歩けてるな~・・・

「歩けてるから、辞めない。って言うのは無いからね。」
旦那が言った。
至極もっともだ。
歩けなくなって日常にも著しく支障をきたす状態まで
バレーを頑張ってどうする??

あからさまに無視されるあの空間で??



正直、今でもバレーボールを辞めるのは辛い。
でも、あそこにいるのも辛い。
迷っている、悩んでいる。
でもでも・・・・
じゃあ、膝はどうするの???
それにあなたは
膝が悪いからバレー辞めるから
キャプテン辞めたんでしょ???
ボロボロ

いえ、そうです、
辞めるのは・・・では無く
私はもうバレーボールを辞めたのです。
今日が最後の練習日でした。

色々あったけど、
最後の練習は楽しかった。
みんなが優しくしてくれたし
抱きしめてくれた。
みんなで写真を撮った。ありがとう。
本当にありがとう。

すごくすごく嬉しかったし寂しい・・・・・

でも、歩きださなきゃいけないね!!!
どうもありがとう!!!バレーボール!!!
どうもありがとう!!!一緒に戦ったみんな!!
シューズ
私は先に離れてしまったけど
みんなは続けていてね。

やっぱり大好きだったよ。バレーボール。
泣きたいほど好きだったよ。
ヘタクソでも、上手くならなくても・・・・・

ありがとうバレーボール。

さようなら・・・・・・・


ボール




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ずーっと、このブログでやってたかったけど・・ ファイルが一杯になっちゃったので 2010年11月1日よりこちらに お引越しすることになりますた(^0^*)b
プロフィール

かじぺた

Author:かじぺた
旅行に料理、植物、
動物、貝にアニメに
小物集め・・・
運動(下手の横好き)
ドライブ、食べ歩き・・・
なんにでも興味ありの
B級ブンダーガマー
(゜∀゜)b

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始めますた!!
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よろしくです!



2010年11月1日より
別荘ブログとなりますた。
過去の旅行も
ハチャメチャなので
良かったら
見てみてちょ!!
たぶん~~~・・・
癒されそうな気が・・
あ、しない??
ま!いっか!!!

貝殻関係で
たどり着いた方、
カテゴリー【貝殻】
以外でも
水辺のあるところ・・・
特に海!に行った時は
ほぼ必ず、
貝殻チェック
しています。
オゴクダ、城ケ島、
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御連絡頂けると
嬉しいでつo(´∀`*)o




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