伯父さんの一周忌
去年、2016年4月に
お姑ちゃんのお兄さんである
おいらのことも可愛がってくれていた
伯父さんが亡くなって・・・・・・

2017年3月26日・・・・・

その伯父さんの一周忌でした・・・・・

行く途中
天竜浜名湖鉄道の敷地駅
に電車が・・・・・

この天浜線の駅は
何かトコラボしてる駅が多くて
歯医者さんだったり喫茶店だったり
色々あるんだけど
この敷地駅は郵便局とコラボ(* ´ ▽ ` *)
〒が可愛い~ヽ(≧∀≦)ノ

車両は一両編成・・・・・・

それほど本数無いので
偶然会えれば超ラッキー+゚。*(*´∀`*)*。゚+
くねくね山道を走っていき
伯父さんと伯母さんの家に到着・・・・・・

田舎の元庄屋さんの家なので
めっちゃ広いから
法要は自宅で行い

高台にあるお墓へ・・・・・・

みんなでお線香を上げたら
下へ・・・・・
急な山道に雨がぱらぱら降っていて
道が滑りやすい・・・・
伯母さんが「この子につかまろうッと!」って
つかまってくれたので
おいらは
「わたしはEちゃんにつかまろうっと!」
Eちゃん
「そう言うと思った!」
伯母さんが、「この子につかまろうッと!」って
つかまってくれた事
なんか、嬉しかったな・・・・・・・

お寺でのお参りの待ち時間
亡くなった伯父さんのすぐ下の
今は清水に住んでる伯父さんが
昔の話しをしてくれた・・・・・

戦時中、このお寺には
たくさんの兵隊さんが泊まってて
この集落で焼いた炭を集めて
基地に運ぶ手伝いをしてた。って・・・
なんでそうしてたかっていうと
集落から軍以外に炭を横流しされないよう
監視するために手伝う体で居たらしいんだけど

よく、兵隊さんたちはみんなで
余興大会みたいなことしてて
そこに子供だった伯父さんたちも一緒に
楽しんだそうなんだけど
歌がすごく上手な人も居れば
話が上手い人も居てたいそう面白かった。って

浜松大空襲のときは
B29が空を真っ黒に埋め尽くすくらいの
大編隊で来て、たいそう怖かったってこととか
竪穴に掘ってあった防空壕に避難したこととか
教えてくれた。

奥深い山の中の集落には
敵機の攻撃はなかったけど
その大空襲で浜松は一面の焼け野原になったんだ。
去年亡くなった伯父さんは

自分で植えた桜が咲くのを楽しみにしてて
去年の花を見てから亡くなった・・・・
今年は桜の開花が遅れてて
まだまだだったけどしだれ梅が綺麗に咲いていた・・・

辛夷(こぶし)の花も少し・・・

お墓に行こうとしたら雨が降り出して
お墓から戻ったら雨がやんだので
「おじさんがいたずらしたのかな?」
とか
「きっと、花粉症の人がいっぱい居るから
スギ花粉が散らないように雨を降らせてくれたんだよ。」
とか口々に言って
みんなで笑った・・・・・・・
御斎(おとき)をみんなで頂いて

伯父さんの思い出話を語り合い

山深い集落の御馳走、肉厚のしいたけの
お味噌汁も頂いた・・・・・

子供たちが小さいとき
この川で毎夏バーベキューして
泳いで魚や沢蟹を採って遊んだ・・・・・

お姑ちゃんのすぐ上の伯母さん
末っ子の叔母さん、そして伯父さんも亡くなり
子供たちは大人になって
川に遊びに来ることもなくなったけど

だけど

私たちは天竜川を渡って
あの家に行く・・・・・・

居なくなった方々の思い出を
みんなで語れば
姿かたちは無くとも
そこによみがえって、きっと一緒に居る・・・

今は居なくなってしまった方々が居たからこそ
今の私たちが居る・・・

そして、
私たちがいなくなっても

命はつながって行くから・・・・・・
そこにはずっと居られなかったとしても
きっと、ずっと一緒に居られるから・・・・・・
だから、寂しくない。
みんなが帰っていく場所に帰るときが
いつの日か来ても・・・・・
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色々あるんだけど
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それほど本数無いので
偶然会えれば超ラッキー+゚。*(*´∀`*)*。゚+
くねくね山道を走っていき
伯父さんと伯母さんの家に到着・・・・・・

田舎の元庄屋さんの家なので
めっちゃ広いから
法要は自宅で行い

高台にあるお墓へ・・・・・・

みんなでお線香を上げたら
下へ・・・・・
急な山道に雨がぱらぱら降っていて
道が滑りやすい・・・・
伯母さんが「この子につかまろうッと!」って
つかまってくれたので
おいらは
「わたしはEちゃんにつかまろうっと!」
Eちゃん
「そう言うと思った!」
伯母さんが、「この子につかまろうッと!」って
つかまってくれた事
なんか、嬉しかったな・・・・・・・

お寺でのお参りの待ち時間
亡くなった伯父さんのすぐ下の
今は清水に住んでる伯父さんが
昔の話しをしてくれた・・・・・

戦時中、このお寺には
たくさんの兵隊さんが泊まってて
この集落で焼いた炭を集めて
基地に運ぶ手伝いをしてた。って・・・
なんでそうしてたかっていうと
集落から軍以外に炭を横流しされないよう
監視するために手伝う体で居たらしいんだけど

よく、兵隊さんたちはみんなで
余興大会みたいなことしてて
そこに子供だった伯父さんたちも一緒に
楽しんだそうなんだけど
歌がすごく上手な人も居れば
話が上手い人も居てたいそう面白かった。って

浜松大空襲のときは
B29が空を真っ黒に埋め尽くすくらいの
大編隊で来て、たいそう怖かったってこととか
竪穴に掘ってあった防空壕に避難したこととか
教えてくれた。

奥深い山の中の集落には
敵機の攻撃はなかったけど
その大空襲で浜松は一面の焼け野原になったんだ。
去年亡くなった伯父さんは

自分で植えた桜が咲くのを楽しみにしてて
去年の花を見てから亡くなった・・・・
今年は桜の開花が遅れてて
まだまだだったけどしだれ梅が綺麗に咲いていた・・・

辛夷(こぶし)の花も少し・・・

お墓に行こうとしたら雨が降り出して
お墓から戻ったら雨がやんだので
「おじさんがいたずらしたのかな?」
とか
「きっと、花粉症の人がいっぱい居るから
スギ花粉が散らないように雨を降らせてくれたんだよ。」
とか口々に言って
みんなで笑った・・・・・・・
御斎(おとき)をみんなで頂いて

伯父さんの思い出話を語り合い

山深い集落の御馳走、肉厚のしいたけの
お味噌汁も頂いた・・・・・

子供たちが小さいとき
この川で毎夏バーベキューして
泳いで魚や沢蟹を採って遊んだ・・・・・

お姑ちゃんのすぐ上の伯母さん
末っ子の叔母さん、そして伯父さんも亡くなり
子供たちは大人になって
川に遊びに来ることもなくなったけど

だけど

私たちは天竜川を渡って
あの家に行く・・・・・・

居なくなった方々の思い出を
みんなで語れば
姿かたちは無くとも
そこによみがえって、きっと一緒に居る・・・

今は居なくなってしまった方々が居たからこそ
今の私たちが居る・・・

そして、
私たちがいなくなっても

命はつながって行くから・・・・・・
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